僕がかつて勤めていたグラフィックデザイン制作事務所『ビタミンスタジオ』の主宰者、アートディレクターの矢野さんからメールがあったのは2016年の夏ごろ。
「ポスターのデザインするから、アシスタント頼む」という内容だったので、なんの躊躇も無く「了解」と返事。
『ビタミンスタジオ』というのは、矢野さんが1983年に設立した、音楽レコード(CD)ジャケットを中心としたグラフィックデザイン制作事務所。それ以前は当時CBSソニーというレコード会社のデザイン制作室のデザイナーだった。
ビタミンスタジオはソニー以外にもいろんなレコード会社からの依頼を受け、矢沢永吉、ラウドネス、角松敏生、Shogun、伊東たけしetc…当時のロック、フュージョンからアイドルに至るまで、いろんなミュージシャンのレコード、CDジャケットを手掛けていました。日本のヒプノシス(hypnosis:ヒプノシスはイギリスのデザイングループ。レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、10CCなど数々のアーティストのジャケット制作を手掛ける。)と言われていたとかいなかったとか…。
矢野さんがビタミンスタジオ時代にデザインしたもの。例えばこんなようなデザイン(ほんの一部)。まだMacがなかったころ。
僕がビタミンスタジオに在籍していたのは1992年から1996年の約5年ほどで、特に大きな不満もなくそのままそこでデザインの仕事するつもりだったのだけど、矢野さんがデザインを辞めて『WING CLUB』という趣味の航空機デスクトップモデル専門店をやると言い出し、ビタミンスタジオは1996年に解散。僕は仕方なくフリーに(笑)
てなことがありつつ、20年の時を経て矢野さんのデザインアシスタントをすることに。WING CLUBさんからは広告などの仕事を受けているけど、矢野さんが直接印刷物のデザインするのは久しぶりで、その手足(足は関係ないか)となれというので、やることに。
単にその昔アートディレクターだった人のデザインアシスタントをする話なら何でもないことなんだけど、矢野さんは10年ほど前に『ALS:筋萎縮性側索硬化症』を罹患してしまったのだ。ALSと言えば、ホーキング博士や篠沢教授など天才が罹る病気だけど(笑)、デザインの天才だからと自分まで罹ることはあるめぃ〜! などと今では冗談言えるけど、当時は知らせを受けて大泣きしましたよ。
でも、矢野さんは強い意志の持ち主だったことも幸いし(ってそりゃ本人最初は絶望したでしょうけど)、口から下は全く動かせない状態になりつつも、今では週4日、自分の会社であるWING CLUBに通って経営を続けている。
で、何のデザインをするのかと言うと、ミュージカルの告知ポスターと言うではないか。
矢野さんの親友である北原照久氏(世界的コレクター、なんでも鑑定団でおなじみ)が、ブリキのおもちゃを集めるキッカケとなった矢野さんとの出会いから北原さんが初めておもちゃの展覧会を開くまでのストーリーをミュージカル仕立てで上演(2017年3月17〜19日)するので、そのポスターをデザインしたいとのこと。原作は北原さんの『ゴールドラッシュ〜風雲篇〜』で昨年上演され今年も再演ということになり、矢野さんとしては何らかのカタチでお礼がしたいという気持ちだったそう。
先ほども書いたけど、矢野さんは自力で喋ることも体動かすことも出来ないわけで、普段どうやってコミュニケーションを取っているかというと、こんな感じ。
仕事中は介護とこうしたひらがな50音の文字盤を通して言葉にしてくれるヘルパーさんが2人、1時間交代で仕事場についてから自宅に帰るまで付いていてくれているようです。僕はMBPを持っていって矢野さんからの指示を文字盤通してヘルパーさんに伝えてもらってカタチにして行きます。
矢野さん、耳は聞こえるのでこちらからの問いかけは問題なく理解出来ます。ホントにALSというのはわからないことだらけで、口から下の体の動きが奪われるけど、目は見えてキョロキョロ動くし耳も聞こえます。まるで盲目の人の聴力が鋭くなるのと同じことなのか、アタマの回転が早くなるようで、年齢も年齢だけど(67歳!?)、考えて次の指示を出すのが早い。そしてよくそんな昔の細かいこと覚えてますなぁ〜ということもたくさん話に出ます。
さて、デザインという細かなニュアンスをカタチにする部分も多々ある作業では、なかなか矢野さんのこうしたいがこちらで理解出来ないこともあって、自分にイライラしたり、なんだか申し訳ない気持ちになることもありました。矢野さんはそんなとき不敵な笑みを浮かべながら、次どう伝えてみようか考えてるようでした。自分で手を動かすことが出来れば、直接やりたくって仕方ないんだろうなぁと思うと、こっちも必死にあれこれ何を求めてるか考えるのですが…。
その昔5年ほどいっしょに仕事していたので、文字盤を通じて言葉にしてもらってる途中で、「あ、矢野さんのしたいことってこういうことか!?」とわかる部分もあって、トータルで振り返ると、やりとりが遅くてなかなか進まないという印象はなかったなぁ。作業確認のため都度、画面を近づけて次の指示をもらう。
「矢野さん、こんな感じっすか?」
「その小さいマル、もう少し右に寄せて…」
「こんくらい?」
「もうちょっと」
「こんな感じ?」
「あと3.5mm」
「全然少しぢゃねーぢゃん(笑)」
とか言いながら、進めていく訳です。
色もアイあと5%上げてとか、まぁデザイン作業始めると細かい細かい(笑)そして休むことなく3時間くらいすぐに過ぎてしまいます。
とまぁ、そんなやりとりをしながら出来たポスターがこれ。
ロゴのデザインから始まって、背景に使うテクスチャーの選択から個々の色のシミュレーションも数しれず。散りばめてあるおもちゃはただランダムに配置しているのではなく、北原さん側には北原さんに由来するものであったり矢野さん側には矢野さんに関係するものだったりと、個々に当時の思い出とか意味があって、矢野さんと北原さんは見たらその意味がすぐわかるレイアウトになっているようです。
しかし完成してみると、全くもって矢野さんテイスト全開のデザインだ(笑)当時を知る人はみな矢野さんらしいねと。文字盤を通じてノートパソコン1台あれば、ALS患者でもポスターのデザインは出来ます! とは言え、本人もっとあれこれデザイン詰めて行きたい部分あっただろうけど…。
基本週1あるいは2で8月から翌年の3月開演1週間前まで、結局ポスターだけでなくチケットやパンフレットなどもやることになって賑やかに。パンフレットはB4サイズで映画のパンフレットのようにちゃんと売り物に(笑)
てなことで、公演については新聞などでも取り上げられたりして、自分は19日のお昼の部を観に行って任務完了となりました(笑)まぁ、最後はドタバタで(って昔も締切り前はそうだったけど)大変だったけどカタチになってよかったっすね(笑)久しぶりに矢野さんと仕事出来てよかったです。