12月もド真ん中で、東京地方も雪が降るのではとの予報も出ております。やっと収めた仕事もあれば、これからが追い込みで大変だという仕事、まだ残っておられる貴兄貴女も多々おられるかと存じます…。
日ごろ主に紙の上、あるいはウェブ上に乗っけるデザインを考える仕事をしておりますが、デザインというものは突然の閃きによって得られるアイデアと思われているふしもなきにしもあらずで、いやいや、そんな天才がなるような職種ぢゃございませんよ〜と諭して差し上げるのも結構メンドーなことです。
例えばロゴマークを作るにあたって、最終的にこれになりましたと発表されたあのロゴは、ある日突然ビビッと松田聖子のように(古いか)あの形が天から降って来てものの10分で出来た!ということは99%くらいは、ない。制作者がそれが何のため誰のためどういう目的で…などクライアントにヒアリングしたり関連資料をもらったりして、それらを元にどーしたらふさわしいカタチにもって行けるか、いくつも考えられるロゴマークを作り込み、都度クライアントの意見も取り入れながら修正作業を繰り返した末に、やっと出来上がったものであります。
ということで何もデザインに限ったことではなく、問題を解決するとか、正しい答えにたどり着くための方法をむかしむか〜しその昔から考えて来た人間がいたわけです。その成果が数学や物理といった分野に入る解決法だったり、哲学という分野のものだったりするんでしょう、おそらく…。
で、文系なのか理系なのかわからないけど(ってそんな区別は不要か)帰納法と演繹法というのがある。時々どっちがどっちの方法だっけか?とわからなくなってるときありますが、簡単に図にするとこんな感じかと。
何かを解決するため(あ、もしかしたら解決しようとは思ってないかもしれない)の考え方として、あれこれいろんな事例やらパターンやらバリエーションなどたくさんのサンプルを集めて来て、こういうこったろ!と結果を導き出す方法が帰納法だと。その逆で最初にこういうこったろ!と仮説を立てておいて考えられる個別のサンプルをそれにあてはめて結果を導き出そうというのが演繹法ということになるかなと。
今、ググってたら帰納法はフランシス・ベーコン(1561〜1626)が提唱したもので、演繹法はデカルト(1596〜1650)が提唱したものというのがわかった。フランシス・ベーコンってアーティストもいるからややこしいけど。
そんなわけで上で述べたロゴマーク作りをはじめとしたデザインをカタチにする方法というのは、アートぢゃないんだしクライアントさんから「なんとかならんのか!」と相談を受けたことに対して、ひとつずつ問題を解決していくことだと思うわけです。
ロゴマーク制作方法なんてホント、帰納法の具体的な説明みたいなもんですなぁ。最終的にひとつの完成型を目指してたくさんのバリエーションを試作して行きます。仕事の規模や手間の多寡にもよるけど10や20、もっと気合いが入ってると50くらいラフデザインを作ることになると思います。それぞれのラフデザインにはそれぞれのそういうカタチになった理由があって、それらを精査しながらよりベターな方向に絞り込んで行く。
ここまで書いていて気がついたけど、最初にヒアリングしたりとか資料を見せてもらってそこからひとつの完成型へ向けてロゴマークデザインを詰めて行くという行為は、演繹的ではないかと。だとするとデザインって帰納法と演繹法を繰り返しながらよりベターなカタチを目指して行くことになるようです。
ついでに言うと、そのロゴマークをつくるためのグラフィックソフトを覚えるのに、まず起動させてとにかくあれこれいじって使い方をマスターして行くというのが帰納法的で、最初にまず付属のマニュアル読んだりググったりしながら基本操作を覚えてから自分の作りたいカタチに持って行けるよう取りかかるというのが演繹法的かなぁと思いましたが、どうでしょうか。
まぁ敢えて言えばこういうことなわけですが、普段そんなこと意識して仕事しているわけではなく、そんな法則に則ってやっていれば必ずいい結果が出るかと言えばそうではなく、最終的な「これ」が決定されるまでには「なんで今そんな話が出てくるねん!」とかもありつつ皆悩み、考えながらなんとか納品までこぎ着けるわけであります。