4月に入り消費税も8%になり、桜も咲いて、津波が来るぞと警戒し、大学の同期だった、その昔女の子だった女性が、NHKフランス語講座の先生を始めたとか、何かと慌ただしい新年度の幕開けとなりました。新入社員の方々でそろそろ辞表の提出を考えはじめている人もおられるかと思います。
『笑っていいとも』という番組が終るというので、イザ終るとなると気になって最終回をビデオで、夜のフィナーレ番組を生で観ましたが、いやはや面白くなかった。部分部分でそのタレントの挙動がおかしかったというのはあっても、トータルで観てハマる要素がなかったというか…。さんまさんは終ってる感が漂っててちょっとイタい感じがしたし、面白かったのはたけしの感謝状くらいだったかなぁ。個人的にはこれでタモリ芸が観られる番組ができるのではないかと期待しております。
こんな感じで何かが終るという話が浮上すると出てくるのが、「残念だ」の言葉。例えば30年続いていた歌声喫茶が閉店するというのがニュースになると、昔そこへ通っていたという人のインタビューで「いや〜残念ですねぇ。さみしいですねぇ。」の言葉出て来ますが、あんたが来なくなったように他の人も来なくなったから、閉店するんです。と、店主は思っているんぢゃないだろか…。
かく言う自分も同じようなことをしていて、昔ちょくちょく行っていた飲み屋がなくなるというと、確かに一瞬驚き、いやぁそれは残念と思うのだけど、やっぱりここ数年行ってないことに気づく。時々思い出すことはあっても行かなかったのは、改めて行動に移す気力が湧かない、以前のようにワクワク感がないといったことが理由なのではないだろか。
たぶん、そこに飲みに行ったら行ったで、それなりにおいしいもの食べたり飲んだりして楽しい時間を過ごすんだろうけど、なかなか喜々としてそこへ飛んで行くまでの気力が湧かない。なんか飽きちゃったということなんだろうけど、この飽きるという現象が世の中の変化の主体を支配しているのではないかと思えるのだけど、どうでしょうか。
テレビのことで言うと、その昔ドラマやアニメは半年間全26話くらいでやってたようだし、ヒットすれば寿命も長く『太陽にほえろ!』みたいな展開も可能だったわけで。同じ刑事モノで『相棒』ですら一旦切っておかないと、マンネリ化して完全に飽きられてしまってはもったいないといった感じなのだろうか。
雑誌やwebサイト、ネットショップをやっていて、なかなか実売数やPV数が延びないから見た目を変えようという話が出て来る。これに関しては逆に今変えない方がいいという場合があったりする。うまく行ってないようだからとりあえず目先のもの変えて気持ちも新たに再出発!ということなんだけど、実はせっかくじわじわと浸透して来ている最中なのに、自分たちが先に飽きてしまってせっかくのじわじわとした上昇機運を断ち切ってしまうということがあったりする。
要は見極め方なんだろうけど、これって数字的なものでなく、勘とか空気感とかそういう流れなんぢゃないのっていうのを感じられる感覚というか…。でも仕事だと、それ勘です!って言葉返しても納得してもらえないだろうし、でもそんな気がするんだけどなぁというのって、そのための数字データを用意できるわけでもなく、難しいところですねぇ。